インタビュー
簡単な経歴をお願い致します。
都立足立工業高校電気科を中退ののち、日美レタリング教室でレタリングを身につけました。
美術大学を出たわけではないんです。(以下省略)
デザインのインスピレーションをどこから得ますか?
最近は、古典からアイデアを得て現代的にシンプルにした書体を描いたりしています。昨年モリサワ賞を受賞したデザインも古典的な楷書をサンセリフ化したものです。あとは、描きたいものを描いてます…。
あなたにとって‘新しい’あるいは‘実験的’とは、どのようなことですか?
とくに意識はしていませんが、今まであったもののマネに見えるものはさけています。読めないとか読むのを拒否するような実験的な仕事をする人も居てもいいですが、私の仕事とは違います。
あなたがデザインワークをするとき、それを使う人や読者、見る人達のことをどのくらい念頭においてデザインしますか?
それはすごく意識しています。例えば私は日本語の明朝体というフォントがあまり好きじゃないんです(笑)、何となく役所的というか、権威主義みたいで描く気もしない(いまのところ)。わたしは、親しみやすく、使う側も楽しくて、見る人も楽しさや優しさを感じるものをつくりたいんです。
それならばタイプフェイスデザイナーとユーザーとの理想的な関係とは?
著作権の問題も勿論ありますが、いま私はウェブからフォント1つを無料配布しています。職業作家が無料配布をするのを驚く人もいますが、例えば音楽の場合を考えて見てください。ラジオで初めてその曲を聞いて、好きになる人がいるように、私のフォントをいちど使って、気にいってもらえば、次はそのフォントを買ってくれる、という自然な流れができるんじゃないかと思っています。正規ユーザーになられた方の名前も発表し、ユーザーとの関係も明確にしているつもりです。
あなたがデザインワークをするとき、最も重要なことはなんですか?
印刷、製版業界に永くいたので、1つのフォントに含まれる文字の中に、品質のムラがあってはいけないと思っています。デザインのオリジナリティーも大切ですが、文章を読んでいて、特定の文字がヘンに目につくようなことが無いよう気をつけています。
現在デザインワークをするに当たって、最も大きな障害になっているものがあるとすれば、それは何だと思いますか?
今でも膨大な日本語の漢字が、さらに増え続ける傾向があるということでしょう。現在AdobeのCIDならば大体8700字です。フォントのイメージは殆どひらがなとカタカナで決まるのに、描かなくてはならない文字の90%は漢字、しかもその半数は使われることの少ない文字です。だからといって、そういう文字なしではフォントとして通用しない。
また、漢字はもともと中国からきた為か、日本の国内でつかわれるフォントなのに、中国で出版されている古〜い字典を見て正しい漢字かどうか判定する人がいるほど、日本の文字市場はヘンに難しいんです。一般のユーザーには必要としない学問的な漢字を増やしたため、製品の価格が上がったりOSが重くなりすぎたりしてユーザーに負担がかかるのは私はイヤですね。
あなたが行った仕事(プロジェクト等も含む)のうち、最も気に入っているものはなんですか?またその理由は?
かな書体がやはり気に入っています。 依頼されてつくるのではなく、自分でオリジナル作品を作り、販売先をさがし、版権は自分で保持し販売権のみをわたす方式を長く続けてきました。近日中に私のかな書体がモリサワから発売されるはずなんですが、それも楽しみですね。
21世紀のデザインの展望についてはどのように思いますか?
デザインとかタイポグラフィーとかいうのは、自己の主張より先に、相手にたいする思いやりだと思うんです。文字が並んでいるだけでも、意味は通じますが、きちんと情報化し分かりやすくするのが、見る人・読む人への思いやりです。インターネットができて、誰でもWEBページを作れてコミュニケーションが可能になりましたが、インターフェースがわかりにくかったり、読むことをを拒否しているのかと思われるようなデザインは好きではありません。
あなたが最も尊敬しているデザイナー、または影響を受けたデザイナーはだれですか?
好きな書体とかはあると思いますが、デザイナーのすべてを信じてしまうことはあまりなく、いつも社会全体から学んでいます。
韓国を含む東洋圏のデザインについて、ご自身の視点から感じるところがあれば、おっしゃってください。
景気に左右されているようでは、ダメですね。もっと広い視野で、デザイナーが何のためにデザインするのかという問題ですから、不景気のためにデザイン業界が悪くなるというものではない筈。現在、アジアを覆っている不景気が、デザイン業界を淘汰してゆくかも知れない。
日本語のフォントのデザインの醍醐味とはなんでしょうか?
中国で作られた漢字、日本固有の文字であるひらがなカタカナ、そして西洋から入ってきたアルファベット、それらのルーツの違う文字がごちゃ混ぜで使われるのが日本のタイポグラフィの現状なので、それを1つのフォントの中に調和させるためには、とても広範囲な知識や経験が必要です。醍醐味というより難しさですね…。
オリジナル書体をデジタルでつくるということ
タイプフェイスデザインから見た漢字
パソコンやワープロが普及して、デザインしなければならない文字の数は増えたように思います。たとえば「鴎」という字は、東芝と富士通のワープロでは違う字体が入っています。「よしだ」さんでも「吉(上が士)田」と「吉(上が土)田」の2種類あるし、「わたなべ」さんの「なべ」にいたっては、全国で100種類以上あると言われています。
日本人は特に名前の字にはこだわりますから、「なぜこのワープロには自分の名前がないんだ」とクレームがつく。するとメーカーは、機械に覚えさせればいいんだから、と考えるのか、どんどん字種を増やしていく傾向にあるようなんです。
実際昔の写植の文字盤には5千ほどの文字しかない書体もあったのですが、現在フォントセットを一組つくろうとすると、最低限JISの第二水準までの6355の漢字をデザインしないといけない。場合によっては、JIS第三・四水準まで必要になるんです。
そんなふうに字数が増えたとしても、デザイナーもパソコンを使っているのだから、手書きよりも作業が早いではないか、と思われるかもしれません。私も10年ほど前にMacintoshを導入したときには、漠然と「パソコンでラクをしたい」と思っていましたが、そんなに簡単にはいきません。
欧文であれば、かなりシステマチックにできていますから、「I」の下に横棒を伸ばせば「L」、上に横棒をつければ「T」、それらを応用して「E、F ……」とつくっていくことができます。あとは「V、A」などの斜めの線と、「O、C、D」などの弧をつくればいい。もちろん現実にはこんなに簡単にすむわけではないのですが、それでも文字を構成する要素の数はずいぶんと限られます。
ところが漢字だとそうはいかないんですね。同じ「糸偏」の字なら、それを流用してつくっていけばいいかというと、そうでもない。つくりの画数が多ければ偏の幅は狭くなるし、つくりの画数が少なければ、偏の幅は広くなります。これを単に、横方向に伸ばしたり縮めたりして処理しようとすると、縦棒の太さが違ってしまいますから、完全に流用できる要素はいくらもありません。結局一文字一文字つくっているのと大差ないんですね。昔の24ドットのワープロ文字ですら、同じ糸偏を全部に流用してはいませんでした。
こんなふうに6千字の漢字を一文字ずつつくっていくと、全部つくるには少なくとも半年以上、普通は数年かかります。するとそのうちに、その書体が「うまく書ける」ようになってしまうんです。これがまた厄介で、たとえば「龍」という字がはいっている文字をデザインしていて、「龍」がそれまでよりうまく書けてしまったとします。すると、それまでにつくった「龍がつく文字」はすべて直さなければならない。
ところが通常の字典では「部首」でしかひけなくて、JISの字形索引表には「龍」という部首の漢字は2つしか出てきません。でも実際には「瀧」や「聾」もあるんですね。それらは「さんずい」や「みみ」という「部首」に分類されているんです。書体をデザインするときには、すべての構成要素がある程度同じに見えなければなりませんから、「龍」なら「龍」が含まれる文字がどのくらいあるかを知る必要が出てきます。
そこで僕は、Macintoshのハイパーカードで、構成要素ごとにそれが含まれる漢字のすべてを表示できるような「漢字分類字典」というデータベースをつくりました。カードの枚数は全部で1500枚ぐらいあります。つまりJIS第二水準までの6355の漢字に、約1500種類の文字の構成要素があるということなんですね。僕がこんなに手間をかけてこのデータベースをつくったのは、レタリングをしているのではなく、ひとそろいの書体をつくっているのだ、という意識があるからです。統一されたデザインのフォントセットをつくるためには、こうした手続きはどうしても必要なものなのです。
今、このデータベースをさらに精密なものにする作業に取り組んでいます。たとえば150くらいある糸偏の漢字は、10種類ぐらいに分類できるのではないか。それならそのひとつひとつに番号をふって管理すれば、糸偏のデザインを変更したいときは、その10種の糸偏だけを直せばいいわけです。そうすれば分業化もできるし、もっと効率よく作業ができるのではないか。欧文ほどではなくても、もう少しシステムマチックに和文書体をデザインすることができるのではないかと思っています。(談)
フォントはこうしてデザインされる
書体の「寿命の長さ」に惹かれた
東京・墨田区の両国に仕事場を構える(有)タイプラボの代表、佐藤豊氏は、書体制作に携わってかれこれ30年というベテラン書体デザイナーだ。
都立足立工業高校の電気科在学中の1966年に、書体デザイナーを目指し中退。当時「レタリングを学ぶにはここしかなかった」という日美のレタリング教室(通信教育)に入学し、1969年に同研究科を終了。印刷会社などへの勤務を経て、1976年の日美展をきっかけに、本格的に書体デザイナーの道を歩み始める。
工業高校の電気科という技術者への道から、畑違いの書体デザイナーを目指すきっかけとなったのは、佐藤氏いわく「高校で学んでいることが自分に向いていないと感じ、漠然と当時注目されつつあったレタリングの世界に魅力を感じたから」と語るが、「実際にレタリングを始めてみたら、自分のデザインした書体が他の人たちのグラフィックデザインなどの要素として、いろいろな場面で使われるのはおもしろそうだと思った」のだという。
とはいえ、当時レタリングと呼ばれていたタイトルロゴ作成などの仕事は、ほとんどがデザイナーやクライアントの要請によって作成する、1回限りの命だ。そこで佐藤氏は、デザイン成果物としてはより寿命の長い「書体」のデザインを本格的に志すようになったという。
当初はまだDTPなど存在せず、作成する書体は写植用のみ。方眼紙に手描きで線を引く方法で制作していた。写研やモリサワの書体作成がおもな仕事だったが、そのころ作成した欧文書体「Paper Clip」は、米国でも発売されている。
Macintoshを書体デザインに用いるようになったのは、1988年にMacintosh SEを購入してから。ただしこの当時は、おもに使用していたAdobe Illustratorのベジェ曲線の操作が思い通りにいかなかったこともあり、試験的にMacintoshを使いつつ、並行して従来の作業も行っていた。
ちなみに佐藤氏がこの時期に制作したかな書体に、モリサワの「キャピー」ファミリーがあるが、Macintosh DTPに早くから取り組んだ読者なら記憶にあるであろう、いづみや(現・トゥー)の「キャピーフォント」は、この佐藤氏による「キャピー」ファミリーのデジタル版(Post Script Type1フォント)である。
興味深いのは、この「キャピーフォント」の制作にあたり、佐藤氏自らデジタル化作業のすべてを手がけたという点だ。素人見には、原字がすでにあるのだから、デジタル化の作業はソフトメーカーに任せればよいのではないかとも思うわけだが、「確かに原字をトレースすれば、簡単にデジタル化できるけれども、それでは作業が機械的になって、その書体の持ち味がうまく表現されない危険性がある。またどんな解像度のプリンタや文字の大きさでもきれいに見せるには、微妙にカーブを調整していく必要がありますから、すべて自分の手で行いました」とのことだ。
1994年からは、漢字を含んだ日本語総合書体ファミリーである「あられ」フォントの制作に着手。「原字を手描きせず、自分1人の力でゼロからパソコン上でデザインした場合、漢字フォントがどれくらいの期間でできるのかを確かめる、実験の意味もあった」とのことだが、3年半の時間をかけて、この6月にようやく完成した。
佐藤氏のフォント制作方法
それでは、まず佐藤氏のフォント制作方法から見ていこう(ここで紹介する図版は、1991年にいづみや(現・トゥー)から発売されたかなフォント「墨東」の例)。
とはいえ、基本的な手順だけを追っていくと、方眼紙上で下書きをしたのち、Illustratorで原字を作成、それをFontographerに読み込んでフォントデータ化するという非常に一般的な方法ではある。だが、ひとつひとつの作業を詳細に見ていくと、佐藤氏ならではのフォントづくりに対する考え方が見えてくると思う。
たとえばIllustratorでの原字作成だが、ただ文字の形をつくるだけでなく、この段階でも文字組みのシミュレーションを行い、各文字のバランスをとっていく。また小さいポイントにした場合に汚くならないように注意したり、漢字をつくる場合は「はらい」や「はね」などのエレメントを、同じ形のものでも画数によって数種類をつくるという配慮もなされている。
1バイトのかなフォントを作成する場合は、Fontographerでカーニングの調整を行う。またその際、あらかじめ用意しておいたいくつかのテキストファイルをFontographerに読み込んで、ここでも実際の文章を組んだときのバランスをチェックする(漢字フォントの場合も、もちろんこの作業を行う)。場合によっては、Fontographer上で各文字のカーブを調整することもあるという。
ある程度納得のいく形になってきたら、いったんフォントとして書き出し、再びIllusutrator上で文字組みする(かなフォントの場合は、他の日本語フォントと組み合わせて確認)。先のFontographerでの作業もそうだが、この実際に文字組みして各文字のバランスをチェックする作業のために、ごくふつうの漢字かな混じりの文のほか、英文混じりや約物、拗音や促音を多く含む文章など、さまざまなバリエーションのテキストを用意している。
またいろいろな資料に当り、使用頻度の高い文字をピックアップ。集中的にチェックするという作業も行う。また、最初の原字作成の際も、Fontographerでフォント化したのちのバランスチェックの際も、もちろんレーザープリンタでさまざまなサイズでプリントアウトしたものもチェックする。
佐藤氏いわく「文字は組まれてはじめて意味のあるものですから、実際に文章に組んでみたとき、文字デザインで妙なひっかかりを感じるようではいけない」。だから、1文字ごとのデザインは当然のこと、文字組みをした際のバランスにも徹底的にこだわる。
コンピュータを使った書体デザインも、「やり方によっては生産性を上げることもできるが、むしろ何度もシミュレーションを行え、最終的なクオリティを上げられるという点がメリットだと思います」とのことだ。実際、上記のIllustrator → Fontographerという手順も、必要に応じて何度も繰り返しながら、デザインを仕上げていく。
みんな使ってよ
旅行ガイド「るるぶ情報版」(JTB)の表紙題字、「るるぶフォント」こと『ヘッター(Hetter)』を作ったデザイナーの佐藤豊が、オリジナルのTrueTypeフォントを無償で公開している。
『キャパニト-L教漢』は、丸みのある軽いタッチのフォントだ。公開して約4カ月、正式登録者は2000名を超える。商用版との違いは、含まれる漢字が少ないこと。
「1006字の教育漢字だけじゃ文章は作れない。僕の名前の『佐』も『藤』もないんですよ」と彼は言うものの、意外な使い道を提案する。「お母さんが子どもとのコミュニケーションに使うとか、先生が学級通信に使うとか」。確かに、小学校の教室にあるMacintoshに入れておいたら子どもたちも喜んで使いそうな気がする。
国内だけではなく、バーレーンや遠くチリからの登録者もいる。商用版と同じものをフリーで配布することに関しては、彼と販売会社とのライセンス契約上は問題ないそうだ。
「試してみて、買える。露出が多くなって売れる。この方が健全な売り方だとも思います」「鐘ケ淵の飲み屋にときどきいきます」という彼の生活は、現代の下町職人をほうふつとさせる。
今後も“メイド・イン・下町”のフリーフォントを出していくそうだ。
デジタル時代の書体デザイン その2
やはりブームなのである。本日5月14日(木)、あの朝日新聞で「フロッケ5」が大々的に取り上げられ、その中で、ミヤヂマタカフミ氏のコメントとフォントの画面写真が紹介されていた。
なぜデジタル・フォントがブームなのか? 以前『日経クリック』の僕の連載で取材した古賀学氏がその答えを明快に語ってくれた──。
「いまデジタル・フォントをつくっている若いデザイナーにとって、フォントは、広告ポスターのように受注品とは違い、タブローのような『作品』なんです。彼らはアルチザンじゃなくて、アーティストになりたいですよ。しかも、フォントは自分自身がパブリッシャーにもなれる」
古賀氏は、ミヤヂマ氏とならぶデジタル・フォント・ブームの火付け人のひとり。自ら編集/デザインしたインディー雑誌「ペッパーショップ」の創刊号(94年)の赤塚不二夫特集では、「天才バカボン」など赤塚マンガで使われていた手書き文字をエレメント化し、デジタルフォントを制作した。イメージサンプリングの先駆けである。
だが、パブリッシャーになれるのはフロッピーだけじゃない。インターネットでもそうである。デザイナーが自作したフォントを無料でダウンロードできるウェブページは今世界中にある。
そうしたなかでも、書体デザイナー佐藤豊氏のウェブページは画期的だ。漢字を含んだ日本語書体がダウンロードできる。
1951年生まれの佐藤氏は、タイプフェイスデザイン界の2大賞である、写研の「石井賞」を86年に、「モリサワ賞」を97年に受賞するなど、長く豊富なキャリアがある。
無料なのは、かなと教育漢字だけという制限はある。「書体は実際組んでみないとわからないですから。宣伝の意味合いも強いんです」と語るけれども、ここにはもっと深い意味がありそうだ──。
「書体のデザインは、自分を表現するパーソナルなものであってほしい」と佐藤氏は語る。つまり、その考え方は、タブローのようにデジタルフォントを考える若いデザイナーたちに近い。
この佐藤氏のウェブページは、ひじょうに充実した内容である。書体デザインに関する評論、制作記、作品解説、日記などが掲載され、氏の人柄、思想が読みとれる内容となっている。
考えてみれば、作者の名や顔や思想を思い浮かべられる日本語書体はごくわずかだ。小塚明朝のような例は非常にまれなことだ。
でも、ウェブページなら作家個人とユーザーを直接結びつけることができる。
この佐藤氏とキリン「一番搾り」のロゴタイプなどで知られる成澤正信氏が共作した「キャパニト-L教漢」というフォントは無料だが、登録制である。ダウンロードした後、メールをくれた人だけに解凍用のパスワードが送られる。そしてダウンロードした人の名前(ハンドル名も可)はすべて佐藤氏のウェブページに掲載される。
ユーザーと作家との直接的つながりが長く刻印として残るように工夫されているのだ。これはひとつの価値観の共有のあかしであり、同時に、顔を見せないまま無断でフォントをコピーする盗人たちへの痛快な揶揄でもある。
佐藤氏は「私のデザインする書体のほとんどは、機能商品では無く、嗜好商品だと考えています」とウェブページに明記しているが、もはやこのスタンスは「嗜好商品」などではない。個人の表現として共鳴できる人だけが作品を享受できる関係が成立している意味では、明らかに「美術作品」である。しかし、無料にして商品という形態を捨てたとき、書体が逆に美術として浮かび上がってくるのは、デザイナーにとってはなんとも皮肉なことである。
だが基本的には、フォントは文化的インフラである。フォントがなければ文学も哲学も存在し得ない。だから美術館やコンサートホールを乱造するのなら、政府や地方自治体は税金を使って、たとえば長野五輪記念フォント「NAGANO」とか、日韓共催W杯フォントをつくってもらいたい。
しかし、インフラという道路や下水道といっしょのレベルで語るにはあまりに失礼な書体があることを、佐藤氏のウェブページの登録者リストが教えてくれる。最終的に「創造物」に必要とされるのは、きっと「Mutual Respect(お互いの尊敬)」なのだ。僕らはカネを超えた「Mutual Respect」の表現方法をもっと考える必要がある。