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1997/07/03〜09/25
活版用の書体(活字)は、1本(1文字)単位で販売されており、使用者が、磨耗したり・キズついたり・本数が足りなくなる度に、買い足したり廃棄していたので、使用者に知らせずに1字種だけデザイン変更することも可能だった。少しづつ時間を懸けて改訂を続けることで、活字書体は現在の読みやすく完成度の高いデザインに成長してきたのだ。
写植や現在のデジタルフォントでは、ユーザが保有している書体を、活字の様に1文字づつ改訂するのは難しく、多くの費用が必要だ(昔、ナールの「才」がカタカナの「オ」に似ていたので変更し、1文字だけフィルムで提供された憶えがある)。そのためデザインの改訂は殆ど行われず、フォントフォーマットの変更や、新しいOSへの対応時に消極的にごく稀に行われるのみだ。
最近の例ではモリサワがCIDフォントの発売と共に、フォントの改訂を実施した(どの文字のどこを改訂したか良く判る、このページのPDFファイル「 文字改訂リスト」を見てください、面白いですよ)。これは、デザインの改訂というよりも、誤字やミスを修正したものですけどね…。
はるか昔に読んだ「書体デザイン」桑山弥三郎著(1971年グラフィック社)の第6章、扉ページには、
もし制作中の書体に欠点を見つけたら、と記されていた。
どんな状態で進行していても、
すぐストップをかけて、
修正する勇気をもたなければならない。
実は私も1年程前まで、この会社の存在を全く知りませんでした。知人が「書体を作っている会社の事が掲載されてるよ」と、週刊ポスト1996年7/12号の連載「メタルカラーの時代」4ページをFAXしてくれたのです。山根一眞氏が最先端企業のトップと対談するページなのですが、その号ではアークシステムの加藤匡朗代表取締役がその相手でした。
以下に記事の見出し部分を抜粋してみます。
●店頭のポップ文字やワープロ・パソコン内蔵の筆文字など約200種・各8000字の日本語書体をフィリピンで製造した「ソフト工業」の挑戦まあ、こんな感じでフォントを制作していたようです。
●おやじに書かせた「デザイン文字」1書体で8000字
●アメリカやイスラエルからも買いにくる世界一"安い"文字
●パソコンで「方程式化」し書体は直線と曲線で作る
●花屋の看板文字もメード・イン・フィリピン
この倒産したアークシステムが保有していた他の書体がどんなものなのか私は知りませんが、200種あまりの書体が誰の手に渡り、どんな形で市場に出てくるのか? そしてフォント市場はどんな影響を受けるのか? 私の興味は尽きません。
1997/09/24
兵庫県の丸岡さんから以下のフォントがアークシステムのモノだとの情報をいただきました。丸岡さん、ありがとう。
● 岸本楷書体
● 重ね角ゴシックH
● 重ね丸ゴシックH
● プリティフランクH
● プリティフランクHライン
● プリティフランクHシャドウ
● 関演芸文字
● 相撲文字
● ひげ文字
● 篭字
● メタル角ゴシックE
● インライン角ゴシックH
● インライン丸ゴシックE
私の場合、一般用の書体商品に書体を提供していますから、代金さえ払えば誰でもが購入し使える訳ですが、例えば、読売新聞が自社の新聞紙面の為に書体をデザインしますよね、それが15年過ぎたから、ライバルの朝日新聞がその書体をコピーして自由に使えるようになったとしたら…読売は頭に来ると思いませんか? これでは誰も書体(著作物)を作る気にはなりませんよね。
著作物に寿命はありません。特許のように新しい技術で置き換えられるものではないのです。どんなに古くても好きなものは好きですよね? 嫌いなものは何年経っても好きになれません(音楽・文学その他著作物すべて)。そして作者の立場から言えば、時には使わせたくない相手だっているのです(思想や感情の産物ですから)。
書体(著作物)は、保護期間が切れるまでは、個人(あるいは企業)の所有物なのです。ですから、写研書体を使いたいDTP業に携わる一部の人達が、写研に書体を開放しろと唱えるのは、筋違いです。写研は自社の思想で現在の状況(所有書体をDTP業界に提供しない)にいるのであって、他人にとやかく言われる筋合いはありません。自分の持ち物を大切にしているだけです。
私から見れば、人の所有物を、どうしても使いたいとダダをこねるDTP業界の一部の人達の考え方の方が怖いのです。
どこかに申請する必要もなく、費用もかかりません。特許法などのように、新しい発想であるとか、早いもの勝ちとかも関係ないのです。
全く同じモノが出来てしまっても問題ありません、自由に自分の中から湧き出るモノを表現すればいいのです。偶然の一致(真実なら)を著作権では認めています。あなたが書いたメモも、電話での会話も著作物なのです。ですから他人が無断で、そのメモを複製しTシャツを作ったり、電話の会話を録音しコピーしたり、放送したりしたら著作権の侵害になります。
結局、著作権で保護される著作物とは、思想や感情を表現したものです。殆どのモノは大して役に立ちません。絶対に必要なものではないのです。文学も絵画も音楽も、無くても人は死にはしません(サビシイけど)。けれど、自分の思想や感情を知らない人に無断で使用されたらイヤな場合もありますよね? そのために著作権法があるのです。「前衛××作家」の理解しがたい表現でも著作権で保護されるのです。
書体は1種類あれば文字は確実に伝えられます。1種類しか書体が無くても本当は誰も困りません。書体を幾ら変更しても文章の意味に変わりは無いのです。インターネットのこのページでも同じですね。それぞれの人達が違う書体で、この文章を読んでいるはずです。
1種類あれば足りるのに、なぜこんなに多くの書体が世の中にあるのだろう? 書体がたくさん必要だったり書体にこだわるのは、人間や企業の「余裕・見栄・思いやり」などの感情表現だと思います。
国によっては人間の思想や感情を制限している場合もありますが、日本は違いますよね? ですから多くの著作物が自由に発表され、我々がそれを楽しむ事ができるのです。
書体は、人間が考えて作っている著作物です。これが保護されずに、他人が無断で複製して構わないなんて世の中になったら、私は多分この仕事をやめるでしょう。
全ての正当につくられた書体は著作権で保護されるべきです。
そして書体の無断複製行為さえ無くなれば、私は満足なのですが…。
オンラインマガジン「リムジン」が著作権特集を掲載しています。
来週は「書体の保護期間」の予定です。
この訴訟は、1993年に写研が「モリサワの『新ゴU・L』が写研の『ゴナ』の著作権を侵害した」としてモリサワを訴えていたものです(当時の写研の意見広告)が、6月24日大阪地裁は「新ゴシック」と「ゴナ」は異なる書体と判断し、写研の訴えを退けました。
さらに大阪地裁は、「『ゴナ』は著作物として著作権の保護を受けるものということはできない」との判断を示しました。当然、写研はこれを不服とし上告することを決めたようです。
●私も大阪地裁と同じように「ゴナ」と「新ゴシック」は違う書体だと思います。
確かに両者はかなり似てはいますが、モリサワの新ゴは、写研のゴナを複製したものではないからです。
著作権法は、人が作ったものを他人が無断で使ってはいけないという、基本的なルールです。似ているモノを止めさせる法律ではありません。
音楽・文学・ファッションなど(創作業全てですが)の世界では似たモノは沢山出現します(ニセモノの制作や販売は、詐欺や偽造などの全く別の犯罪行為ですので誤解しないように)。
その中から我々は自分に一番適切なものを選べるから面白いのであって、もしゴシック書体が1種類しかなかったら、何ともつまらない世界になることでしょう。
日本タイポグラフィ協会なども写研と同じ様な考えで、似た様な書体を排除しようとする運動(知的所有権委員会による類似書体判定基準!の制作)をしていますが、作家団体の筈なのに、他人の創作活動を排除するような運動をしているのが私には理解できません。
●しかし大阪地裁の「ゴナが著作権で保護されない」という部分には納得がいきません。
著作権法では「著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と狭いワクで記されていますが、実際には、講演や放送の内容、写真・映画・設計図・地図など、あらゆるものが著作物として認められているのです。
なぜ「書体デザイン」が著作物として扱われないのか理解できません。この件で興味のある方は、私が以前書いた文章も読んで見てください(書体の権利と類似書体・書体の類似騒動)。
残念ながら、今回の裁判では明確に著作物として扱われていない「書体デザイン」ですが、デジタルフォントという形になれば、ソフトウエア・データとして著作権で保護されている筈です。
来週も書体著作権に関連した内容になる予定です。
私がこの書体の存在に気づいたのは、ナールDが発売された後のことだから1974年頃だったと思う。文房具店で見たノートの表紙にナールDで「さんすう」と印刷されていたのだが、「さ」の字形が不自然なのだ。ナールの特徴の奇麗なカーブが途中で切断され、他の3文字と雰囲気が合っていない。その後、低学年用の絵本や教材などで字体が変更されたナール書体を数多く見つけ、この「低学年、幼児用かな書体」文字盤の存在を知った。
低学年の子供が喜びそうな明るく可愛いナール書体が、あまりにも無神経に線を切り離したりしてあったので私は気づいたのだが、「低学年、幼児用書体」は他にも何種類かあるようだ。
なぜ素晴らしいオリジナルデザインを変更して「一般にはご使用にならないよう…」と注意を促す低レベルの書体を作るのだろう?
低学年の教科書には教科書体が使われており、幼児には違う字体を目に触れさせないという思いやり(強引!)なのだろうか? しかし幼児の身の周りではTV・印刷物・街の中などで、色々な書体や字体が使われているのだから、それではあまり意味がない。
私の推測では、文字の書き取りテストの正誤基準をはっきりしたいために教師や教育ママ連中から、低学年向けの教材関連印刷物や絵本を制作している業者に、字体を教科書体に準ずるように圧力のようなものをかけ(木へんのタテ棒はハネる、ハネないなどを気にしている人達だから)、仕方なく業者は印刷時に字体をその都度修正していたのだ。そのうち度重なる修正作業が面倒くさくなり、最後は写研に業者が専用の文字盤開発を依頼したのだと思う。
赤丸で囲った以外の文字にも微妙に線を突き出したり離したりした箇所があるし、数字などにも教科書体風の変更が見られる。たぶん写研もイヤイヤ作ったのだろう、安易な処理でお茶を濁している。
印刷書体は、読むこと(見る?)を目的に特別に作られた書体だ。
だから普通に文字を書くときの字体と違う場合もあるし、双方が違うのは当然だと私は思う。欧文なんかも筆記体を学校で習うが、印刷書体とはかなり違っている。読むための書体と書くときの書体(字体)を同一に捉えていると、このような問題が出てくるのだ。
1986年にキャピーを制作した時は、この件が私の意識に根強く残っており、訳の解からない事情で字体を変更されるのを避けるために、できるだけ教科書体や低学年用かな書体に準じた字体でデザイン(き・さ・も・ゆ・ム・ヱ)したのだった。
平成明朝体のデザインの特徴は、画線やエレメントの直線的な処理や、横組みを意識したと思われる、サイズを揃え大き目にデザインされた「かな」などだが、古い慣習に引きずられずに思いきり良くデザイン処理した結果、文字が並んだ時には従来の明朝体とはかなり違うイメージを発する。それを新鮮と受け取るか、変だと感じてしまうかは、使う人それぞれの心の問題だ。
最近では結構うまい使い方を見かけるし、デザイナーも少しずつ使い方に慣れてきたかな?と私は感じているが、長文での効果的な使用例には残念ながらまだ出会っていない。
書体デザイナーという私の立場から見れば、個性もなく得体の知れない明朝体よりも、一目で平成明朝だと判る個性は素晴らしい事で、そういう意味ではこの書体、私は嫌いじゃないんだが…。
先日それらの書体群の元になっていると思われるフォントとその作者に、やっと巡り逢えた。
「リビングフォントシリーズ」と名付けられたそれらの書体は、プロペラアートワークスに勤務するミヤヂマタカフミ氏がデザインしたものだった。
エミグレ社のフォントデザインに触発され、その新鮮な感覚を日本文字に持ち込もうと試みる彼の書体デザインは、アルファベットとカタカナの共存生活をテーマにしており、アルファベットに負けないカタカナを日夜考えているそうだ。
現在まで、これらのフォントはデジタローグ・ギャラリーで催されるフロッケ展でしか販売(1書体2,000円から)されていませんでしたが、10月17日(金)〜11月9日(日)に開催予定の「FONT EXPO'97」では、ミヤヂマ氏を含め15名のフォントデザイナーがこの日のために制作したフォントを発表し、それらのFONTを収録したCD-ROM「パビリオン」を発売するそうです。
この「FONT EXPO'97」については、開催間近になったらもう少し詳しく情報掲載する予定です。
私から見ると1960〜70年代に盛んに見られたデザインスタイルで、今更という気がしてしまうのだが、音楽やファッションと同じように若い世代の人達は新鮮に感じているのだろう。
カタカナと英数字のセットでデザインする試みも面白いと感じた。私などは写植用書体からパソコン用の書体デザインに移行してきた古いタイプのデザイナーだが、フォントが気軽に作れ、グラフィックデザイナーがパソコンを駆使する時代には、それに相応しい方法や書体デザインが出現するという事だ。
これからも新しい世代の書体デザインとデザイナー達の観察を続けて行きたいと思う。
活版の活字書体に話を絞れば、本文用・見出し用という分類が通用する。活字では小サイズの活字は細く、大きなサイズの書体は太く、各サイズ毎に書体がデザインされ、当然そのサイズでしか使用することはできなかったからだ。
しかし写真製版技術が発展すると、一度活字で刷ったものを拡大・縮小撮影し凸版を作り、活字書体を本来とは異なるサイズで使用する人達が現われ、更に写植機の出現で書体が自由なサイズで使えるようになってしまった。
広告業界の人達に相変らず人気のある石井MM-OLD(中明朝オールドスタイル)書体などは、まさしく本文用書体だったのだが、写植で自由なサイズで使えるため見出しにも多用され、あるデザイン会社の作る広告の見出しは一時期全てこの書体一色に染まった。後にこの人気書体は他のウエイトも制作されファミリーを完成させた。日本語書体のファミリー化が進み、殆どの書体が細いものから太いものまで制作されるようになっていった頃の話だ。
さて、この石井OLD書体は本文用・見出し用どちらの書体なのでしょうか?
文字の使用サイズが自由になり、写植書体がファミリー化されるようになった頃から、このような書体分類は意味が無くなったと思います。
小サイズの活字用にデザインされた細い明朝書体でも、大きく使用すると美しかったり、いい感じだったりします。本文用にデザインされた書体でも効果的な見出しに使えます。
逆に、見出し専用の極端に太くデザインされた書体は、小さく使用するとツブレて読めなかったり、過剰に装飾されたデザインの書体は長文に使用すると読む側が耐えられない、なんてことになるのですが…
結局は好みの問題です。キャンプや釣人用の道具や衣服を、普段の生活に転用するのと同じことです。便利だったりカッコ良かったりしますよね? 書体も○○用なんて言葉に惑わされずに自由に好きな場所で好きな使い方をすれば良いのです。
もちろん、道具や衣服を転用する時と同じように、使用する人のセンス・経験・判断能力などが結果を左右することになります…
●正式名称
第1回ACCS・BSAこどもコンテスト 守ろう!ソフトウェア著作権
●締 切
1997年9月12日(金)必着(当日消印有効)
●注意事項
1.応募作品はオリジナル作品であること。
2.応募作品は返却致しません
3.応募作品は、主催者の今後の活動に使用させて頂きます。
●審査員/選考
審査委員長:横浜国立大学 教授 吉田 大輔 他委員で選考
●発 表
1997年10月13日(月)BSAホームページ(http://www.bsa.or.jp/)で発表。
●後 援(予定)
通商産業省/文化庁
●協 賛 (予定)
財団法人ソフトウェア情報センター/社団法人情報サービス産業協会/社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会/社団法人パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会/社団法人日本システムハウス協会/財団法人コンピュータ教育開発センター/社団法人著作権情報センター/社団法人日本教育工学振興会
●特別協力(予定)
日本教育新聞/電波新聞社/アップルコンピュータ株式会社/アドビシステムズ株式会社/株式会社ジャストシステム/株式会社セガ・エンタープライゼス/株式会社ソニー・コンピュータエンタテイメント/ノベル株式会社/マイクロソフト株式会社/ロータス株式会社
●主 催
社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会/Business Software Allian
※このコンテストのページに
じぶんでいっしょうけんめい作ったものが、
だれかさんに勝手にコピーされて、使われたら、怒るよね。
と記してあるが、これを理解できない人々がDTP業界にもかなり存在するようで、モリサワのフォントがプロテクトを外され違法に販売・譲渡されたりしている。
どんな業界にも一部の質の悪い人が混じっているのは仕方がないかもしれないが、違法にコピーされたフォントを使って仕事をしているのが、著作権にかなりうるさい某デザイン団体の会員だったりするのだ。
自分達が作ったものには著作権を主張するが、他人のモノなら勝手にコピーし使用する彼らは、他人に判らなければイイだろうと思っているのかも知れない。しかしモリサワやアドビのユーザ登録をチェックすれば正規のユーザかどうかはすぐに判明するのだ。
いつか、誰かにBSAやフォントメーカーに申告されて恥をかかないようにね(違法使用者の皆さんへ)!
まず、私自身のスケジュールを調整しなければならない。
向こう10年間ぐらいの書体制作計画は出来ているから(自分で勝手に決めたのだが)それらの順番を調整したり、スケジュールをよりハードにしなければ、この「あさがを」の制作には入れないのだ。
次は、コンテスト主催者との契約交渉。
受賞書体は発表から1年間は交渉権利を主催者に拘束される決まりだから、この契約が結ばれない限り私は制作にかかるつもりは無い。もし主催者と契約できずに1年過ぎたとしても、せっかくモリサワ賞というお墨付きを貰った書体なのだから、私は「あさがを」を制作するつもりでいる。
ここ10数年、私は書体を自主制作しており、制作費を出して貰って書体をデザインしたことは無い。ヒットしている書体の2匹目のドジョウを狙ったこともないし、そんな依頼をしてくる会社とも付き合わない事にしている。「あさがを」も自費で制作することになるかも知れない。
早く世に出さないと「あさがを」の旬が過ぎちゃうよ、と言う人もいるが書体デザインの寿命がそんなに短いと私は思っていない。現在業界で親しまれている書体の多くは何十年も前にデザインされた書体だし、50年以上も前にデザインされた人気書体も存在する。
書体の寿命はデザインよりも、フォント形態によって左右されるような気がしている。活字から写植、そしてデジタルフォントへと、長寿の書体はそれらの技術の進化を乗り越えている。技術の進化に対応しなかった書体は消えていくしかない。
活字書体の一部では既にその現象は始まっている。写植書体は文字盤が永久的に使える仕様になっているが、手動写植機の生産が中止されたことで、こちらも消えていく書体が出始めるだろう。
書体メーカーや販売会社の都合で、自分のデザインした書体が技術対応されずに消えていく…のを避ける目的もあり、私は書体デザインの権利は自分で保有・管理しているのだ。
これまでデジタル業界に提供してきた私のかな書体は、写植書体として販売されていたものだったが、「えれがんと」は写植時代を飛び越した書体だ。
この書体は1976年頃制作し、1977年に当時書体デザイナーを志していた数人の仲間達と「レタリングシート」という商品を作り細々と自主販売、その後1985年マール社から「ひらがなカタカナ集1」という書体清刷り本にも収録されたが、これまでは一部の人達にしか知られていないマイナーな存在だった。
しかし、オリジナルデザインから20年の時を経て、昨年TrueTypeフォント(Win用)で、今年はPostScriptフォント(Mac用)として発売され、見事に甦ってくれた。
書体の寿命は永遠だ!…と私は思いたい。
季刊・本とコンピュータ
創刊 1997年7月10日(全国書店で一斉発売)季刊・本とコンピュータ創刊記念
刊行形態 年4回
予価 1300円(本体価格)
判型 スキラ判(B5変型・縦216×横165)
頁数 256頁(予定)
編集長 津野海太郎
副編集長 萩野正昭 松田哲夫
デザイン 平野甲賀
編集 「季刊・本とコンピュータ」編集室
発行 大日本印刷株式会社ICC本部
発売 株式会社トランスアート
講 師「第一部」
関川夏央(作家)
大竹昭子(文筆業)
長薗安浩(「ダ・ヴィンチ」編集長)
龍沢武(日立デジタル平凡社取締役)
中尾勝(ジャストシステム出版編集部長)
村瀬拓男(新潮社メディア室)
「季刊・本とコンピュータ」編集同人
津野海太郎(晶文社取締役)
萩野正昭(ボイジャー代表取締役)
松田哲夫(筑摩書房取締役)
電子本のいまとこれから(司会)津野海太郎「第二部」
(代表的なソフトのデモを見ながら…)
本と読書の未来について(司会)松田哲夫日 時 7月16日(水)18:30〜